資料などのお問い合わせはフリーダイアルへ

0120-52-1159

受付:平日15:00〜22:00
(日・月・祝祭日を除く)

西大島校ブログ

大人世代が驚く「Z世代・α世代の新常識」

更新日:2026.6.9

江東区・北砂 個別指導学院 TOCO 西大島校 石戸です。(Vol.31)

 

私(たち)大人が子どもの頃の常識が激変していることを御存知でしょうか?

今回は、現代っ子の常識(最先端)から大人が学び取ることが目的のブログです。

スポーツ・トレーニング編】

  1. 野球の評価:打率3割よりも「OPS」
  • 昔の見解: 強打者の証は「打率3割」「ホームラン王」。
  • 現在の定説: 選手の得点貢献度を測るには「OPS(オーピーエス)」が最重要視される。
  • 変わった理由:
    統計学(セイバーメトリクス)の進化により、打率(ヒットの確率)よりも「出塁率」と「長打率」を足したOPSという指標のほうが、チームの得点力と圧倒的に高い相関関係があることが証明されました。現在の大リーグやプロ野球では、打率が2割5分でもOPSが高ければ「超一流の強打者」と評価されます。
  1. マラソン:薄底シューズから「厚底」へ
  • 昔の見解: 長距離を走るなら、軽くて素足に近い「薄底シューズ」が常識。
  • 現在の定説: 世界のトップランナーから市民ランナーまで「厚底シューズ」が主役。
  • 変わった理由:
    かつては「厚底=重くて走りにくい」とされていましたが、カーボンプレートと超軽量の特殊クッションを組み合わせた新技術が登場しました。これにより、足を痛めにくく、かつ地面からの反発力を爆発的に推進力へ変えられるようになり、世界中のマラソン記録が次々と塗り替えられました。
  1. 筋トレ:限界まで追い込まなくても筋肉は育つ
  • 昔の見解: 重いウエイトを持ち上げ、筋肉がちぎれるほどの筋肉痛を伴う「限界の追い込み(No Pain, No Gain)」が必要。
  • 現在の定説: 軽い負荷でも、運動の「総重量(ボリューム)」が同じなら効果はほぼ同じ
  • 変わった理由:
    スポーツ科学の研究が進み、重いバーベルを数回だけ持ち上げるトレーニングと、軽いダンベルを回数多くこなすトレーニングとでは、トータルの運動量(重さ×回数)が同じであれば、筋肉の発達(筋肥大)に大きな差が出ないことが判明しました。これにより、怪我のリスクが低いトレーニング法が推奨されるようになっています。

衣料・ファッション編】

  1. 機能性インナー:見た目が綺麗でも「3年で寿命」
  • 昔の見解: ユニクロのヒートテックやエアリズムなどは、生地が破れるまで何年も着続けられる。
  • 現在の定説: 見た目が変わらなくても、約3年で本来の機能(吸汗速乾や吸湿発熱)は失われる
  • 変わった理由:
    これらの衣服に伸縮性をもたせるために使われている「ポリウレタン」という繊維は、着用や洗濯の有無に関わらず、空気中の水分などによって約3年で経年劣化(加水分解)が始まります。繊維が伸びて肌との密着性が失われると、暖かさや涼しさを感じにくくなるため、 ユニクロ公式などでも約3年での買い替えが推奨されています。
  1. ジーンズ(デニム):洗わないほうがいい 「こまめに洗う」
  • 昔の見解: 色落ち(ヒゲやアタリ)を楽しむため、ジーンズは極力洗濯せず、ファブリーズや天日干しで耐えるのが美学。
  • 現在の定説: 生地を長持ちさせるためには、裏返してこまめに洗濯するべき
  • 変わった理由:
    汗や皮脂、目に見えない汚れが生地に染み込んだまま放置すると、繊維が酸化して弱くなり、股下やポケットの周りから突然「生地が破れる」原因になります。現在のビンテージデニム界隈でも、生地の寿命を伸ばすために「適切な頻度で水洗いする」ことが新常識となっています。

スポーツも衣服も、「精神論」や「職人の勘」から「科学的なデータ」に基づく時代へと完全にシフトしています。

【日本史編】

  1. 鎌倉時代の始まり
  • 昔の見解: 1192(いい国つくろう鎌倉幕府)
  • 現在の定説: 1185(いい箱つくろう鎌倉幕府)
  • 変わった理由:
    源頼朝が征夷大将軍になったのは1192年ですが、実質的な国の支配権(守護・地頭の設置権)を後白河法皇から獲得したのは1185年です。そのため、現在は1185年を事実上の幕府成立(鎌倉時代の始まり)とする教科書が主流です。

    • ※現在は「何年に一発で成立した」というよりも、1180年から1192年にかけて「段階的に完成していった」と教えられています。
  1. 聖徳太子(しょうとくたいし)
  • 昔の見解: 聖徳太子という万能の政治家が1人で大活躍した
  • 現在の定説: 「厩戸王(うまやどのおう)」という実在の人物+後世の神格化
  • 変わった理由:
    「聖徳太子」という名前は、彼が亡くなった後に付けられた尊称(おくり名)であることが明確になりました。また、彼が1人で全ての偉業(冠位十二階や憲法十七条など)を成し遂げたという記述は、後世に作られた伝承の可能性が高いと指摘されています。

    • ※現在の教科書では、生前の本名である「厩戸王(あるいは厩戸皇子)」をベースに、「厩戸王(聖徳太子)」のように両方を併記して教える形に変わっています。
  1. 和同開珎(わどうかいちん / わどうかいほう)
  • 昔の見解: 日本最古の流通貨幣
  • 現在の定説: 和同開珎より古い「富本銭(ふほんせん)」が最古
  • 変わった理由:
    1998年、奈良県の飛鳥池遺跡から、和同開珎(708年)よりも古い7世紀後半(天武天皇の時代)につくられた「富本銭」が大量に出土しました。これにより、「日本最古の公的な鋳造貨幣」の座は富本銭へと塗り替えられました。
  1. 仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)
  • 昔の見解: 仁徳天皇の墓である
  • 現在の定説: 「大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)」(伝・仁徳天皇陵)
  • 変わった理由:
    考古学の調査により、この巨大古墳が造られた時期(5世紀前半〜半ば)と、神話・歴史上の人物である仁徳天皇の活動時期が「どうも一致しないのではないか」という疑問が強まりました。誰の墓か100%の証明ができないため、現在の教科書では「天皇の名前」ではなく、地名に由来する学術名である「大仙陵古墳(または大山古墳)」という呼び方が主役に据えられています。

このように、私たちが子どもの頃に丸暗記した歴史の知識は、今や「古いデータ」になっているものがたくさんあります。

     5. 足利尊氏の顔写真

教科書に必ず載っていた、馬に乗ったヒゲの武士の肖像画。あれは足利尊氏ではないことがほぼ確実になりました。

  • 昔の見解: 馬に乗ったあの有名な肖像画こそが「足利尊氏」である。
  • 現在の定説: 尊氏の側近であった「高師直(こうのもろなお)」、あるいはその息子の師冬(もろふゆ)であるという説が有力。
  • 変わった理由:
    肖像画に描かれている家紋が足利家の「二つ引両(ひきりょう)」ではなく、高(こう)家の「輪違い」であることや、騎馬武者の乗る馬の装備が尊氏の時代より少し後のものであることが研究で判明しました。
  • 現在の教科書:
    かつての絵は「騎馬武者像」などと書き換えられ、現在の教科書で「足利尊氏」として掲載されているのは、京都の浄土寺などが所蔵する別の座像(お坊さんのような姿で座っている肖像画)に変わっています。

     6. 遣隋使の小野妹子(おののいもこ)

小野妹子は「初の遣隋使」として歴史の表舞台に登場しますが、実は彼よりも前に別の遣隋使が送られていたことが分かっています。

  • 昔の見解: 607年に小野妹子が「第1回」の遣隋使として隋に渡った。
  • 現在の定説: 小野妹子が送られたのは「第2回(あるいはそれ以降)」である。
  • 変わった理由:
    日本の歴史書(日本書紀)には書かれていませんが、中国側の歴史書(隋書)には、西暦600年に倭国(日本)から最初の使者が来たという記録がはっきりと残っています。しかし、この1回目の使者は隋の皇帝から「国際マナーがなっていない」と呆れられ、外交としては大失敗に終わりました。
  • 現在の教科書:
    この失敗を恥じて日本側が記録を消したと考えられており、現在の教科書では「600年にも使者が送られた(諸説あり)」と触れた上で、「国交を開くために改めて607年に小野妹子が送られた」というストーリーで教えられています。

     7. 縄文時代・弥生時代の区切り

かつては「紀元前3世紀(約2300年前)から弥生時代が始まった」とされていましたが、これが一気に500年も遡ることになりました。

  • 昔の見解: 紀元前3世紀(約2300年前)に大陸から米作りが伝わり、弥生時代が始まった。
  • 現在の定説: 紀元前10世紀頃(約3000年前)には、すでに九州北部で本格的な水田稲作(弥生文化)が始まっていた。
  • 変わった理由:
    2000年代以降、国立歴史民俗博物館などが「炭素14年代測定法」という最新の科学技術を用いて、土器に付着した「おこげ」などを分析しました。その結果、これまでの想定よりはるか昔から米作りが行われていたデータが出たためです。
  • 現在の教科書:
    現在は「紀元前10世紀頃から弥生時代が始まった」と書かれるようになっています。また、稲作が一瞬で全国に広まったわけではなく、数百年の時間をかけてじわじわと南から北へ広がっていった(その間、東日本ではまだ縄文らしい生活が続いていた)というグラデーションのような過渡期として教えられています。

「歴史は変わらない過去のこと」と思われがちですが、新しい科学技術や文献の再検証によって、今でも日々書き換えられています。

【医療・健康・スポーツ編】

  • 運動中に水を飲んではいけない➔ 昔はバテる原因とされましたが、現在は脱水症や熱中症を防ぐためこまめな水分・塩分補給が必須です。
  • 怪我をしたら「うさぎ跳び」で鍛える➔ 関節を痛める百害あって一利なしの運動と分かり、現在は禁止されています。
  • 傷口は消毒して乾かす(乾式療法)➔ 現在は傷口を消毒せず、水道水で洗って潤いを保ったまま治す湿潤療法(モイストヒーリング)が主流です。

【科学・天文学編】

  • 「(冥王星)(めいおうせい)」は太陽系の第9惑星➔ 2006年の国際天文学連合の定義変更により、現在は惑星ではなく「準惑星」に分類されています。つまり、「海王星(かいおうせい)」)よりも外にあることが分かっています。
  • 恐竜は毛のないトカゲのような姿➔ 化石の研究が進み、現在の恐竜(特にティラノサウルスなど)は羽毛が生えていたという説が有力です。

 

 

163

25年度「就職に強い大学」ランキング(Best25)の紹介と考察

更新日:2026.6.5

江東区・北砂 個別指導学院TOCO 西大島校 石戸です。(Vol.30)

かつて、「良い学校に入って、良い会社に就職して」みたいなことが、たびたび言われていた時代がありました。今はいかがでしょうか?というよりも、何をもって「良い大学」とするかにもよるのではないでしょうか? 何よりも自分に合っている(自分の学びたいことが学べる)大学が優先であり、将来への希望が持てることがベストでしょう。

東洋経済という雑誌には「就職(転職や起業もあるでしょうが、新卒の場合)に強い大学」というもののデータを提供してくれています。

学部にもよるのかもしれませんが、大企業などの就職試験などに突破する力があるかどうかを総合的に判定しているようです。入社面接においても、全く新しい大学よりは既に採用し、活躍している先輩がいると次に続く後輩たちの道も開けてくるのかも知れませんね。

リクルートする側の会社ごとに、人事を担当する部署にはかなりの情報が集まってくるものです。私自身も東京都の教育委員会人事部において、教員の眼からだけでなく、一流企業の人事部の方々を招いて、一緒になって、採用面接をしたものです。都幹部と学校教育現場の管理職と企業の人事担当者の3名です。

(公務員の場合には、大学名やコネクションなどは一切効きませんが)勤めたい企業に先輩がいる時には訪問してみるのも有効でしょう。

それらを踏まえて、受験先大学を決めていくというのもあるのかと考えます。では、発表します。

25位から紹介します。モットー(建学の精神)とともに。

25位(私)関西学院大学…「奉仕のための練達」

24位(私)法政大学…「自由を生き抜く実践知」「その先の自分を創る」

23位(公)国際教養大学…「ダイバーシティと共に進む」「互いに高めあう」「共に価値を創造する」

21位(私)芝浦工業大学…「社会に学び社会に貢献する技術者の育成」「世界に学び世界に貢献する」

21位(私)同志社大学…「一つの目的、それこそが同志社の名」

20位(私)東京理科大学…「実力主義の理系難関校」「留年必至。しかし就職は強い。」

19位(私)明治大学…「『個』を強くする大学」

18位(国)千葉大学…「つねに、より高きものをめざして」

17位(国)広島大学…「漕ぎ出せ混沌の海に 走れ創造の彼方へ」

16位(私)創価大学…「人間教育の最高学府」「新しき大文化建設の揺籃」「人類の平和を守るフォートレス(要塞)」

14位(私)千葉工業大学…「未来に一番近い大学」「世界文化に技術で貢献する」

14位(国)筑波大学…「開かれた未来へ」「想像しよう、未来を」

13位(私)上智大学…「叡智が世界をつなぐ」「他者のために、他者とともに」「真理の光」

12位(国)一橋大学…「Captains of Industry(実業界のリーダー)」―人類を導く真の勇者

10位(国)神戸大学…「学理と実際の調和」―理論的な研究とそれを社会に役立てる実践を重んじる

10位(国)北海道大学…「Boys,beambitious(青年よ、大志を抱け)」-世界の課題解決に貢献する北海道大学へ

9位(国)九州大学…「総合知で社会変革を牽引する大学」――世界へ飛躍する九大新世紀

8位(国)名古屋大学…「勇気ある知識人」―論理的思考力と想像力に富んだ、真の勇気と知性を持つ人材。

7位(私)豊田工業大学…トヨタが設立。低学費で就職率100%。超少人数精鋭の工科大学。

6位(国)大阪大学…適塾の精神を受け継ぐ、日本最大級の超難関文理総合大学

5位(国)東北大学…「研究第一」「門戸開放」「実学尊重」

4位(国)京都大学…「自由の学風」(ノーベル賞受賞は、京都大学から1番多く輩出している)

3位(私)慶應義塾大学…「独立自尊(他人に頼らず、自分の身は自分で守り、自らの判断で行動・責任をとる)」

2位(私)早稲田大学…「学問の独立」 日本の早稲田から、世界のWASEDAへ

1位(国)東京大学…日本最高峰の環境でリベラルアーツを学び、未来の国際的指導者を育てる『志ある卓越』の府

大学進学を考えているならば、同じ学部があるというならば、ぜひ上記の大学へ挑戦するのも大変意義のあることではないでしょうか? 母校がなくなるのは、悲しいことです。

世界にも、ボローニャ大学(イタリヤ)、オックスフォード大学(イギリス)、パリ大学(フランス)、ケンブリッジ大学(イギリス)などは、数百年も存続している名門があります。

少子化も相まって、良いもの(良い大学)だけが残っていく時代なのでしょうか。

(26位以下も決して悪い大学とは一概に言えないと思いますが、)日本の大学だけに限って選択していかなくても良いのかも知れません。むしろ、日本人の留学生は世界の中では決して多くないのですから、大学や高校から、いえ中学生から留学しようとする生徒を精一杯応援したくなります。

ちなみに、現在日本には813校の大学があります(学生募集は793校)が、2026年現在の政府の動きとして、2040年までに私立大学の約40%(250校)以上を削減・統合する方向性のようです。

個別指導学院TOCOから、日本の上位校や海外の学校をめざしませんか。

 

172

日本にもあった数学の知恵――江戸時代から続く我が国の偉大なセンス『和算』

更新日:2026.6.4

江東区・北砂 個別指導学院 TOCO 石戸です。(Vol.29)

いくつか前の号では、インドで「0(ゼロ)」を発見・発明してくれたお陰で数学が発展し、様々な分野に影響を及ぼした、と紹介しました。

今回は、わが日本の誇り『和算』の紹介です。皆さんは、御存知でしょうか?

実は、江戸時代の人々はそろばんや暗算が得意で、そのレベルは現代人さえ及ばないほどだったそうです。当時の言い方では「算法」ですが、西洋の数学に対して呼び方を変えました。日常の計算を超えた数の遊びや形についての論理などが積み上げられて、ユニークな和算の文化が結実しました。

西洋の近代科学をリードしたアイザック・ニュートンニュートンよりも一足早く、微分・積分の考え方に迫っていった関孝和などは、国際的にも高く評価されているのです。

学びとは、本来的には楽しいものです。「和算」を知ると楽しく、長続きしていくでしょう。難しいことを難しく学ぶより、楽しく分かりやすく学習し、どんどん深く、そして難問へも挑戦していくことができると良いですよね。

たとえば、以下のような和算があります。「旅人算」「鶴亀算」「油分け算」「俵杉算」「町見術」「裁ち合わせ」「三方陣」「乗換算」「立木算」「盗人算」「普請算」「拾い物」「奇遇算」「結び目の問題」「算額の問題」などが有名です。

いくつもある和算の中で、今回は「鶴亀算」の問題を出してみますから、ぜひ解いてみてください。

―――あるとき、「ツル」と「カメ」がお楽しみ会にやってきました。会場の受付には、合計数しか記録が残っていませんでした。その数は“32”でした。たったそれだけで、「ツル」と「カメ」がそれぞれ何匹・何羽ずつ来たのかがわかりますか?

時には、机に向かうばかりでなく、親子で、絵をかいたり遊んだりしながら学ぶのも楽しいものですよ。(ツルとカメの足の数に着目してみましょう。わかった人は、TOCOの西大島校まで、解答を教えに来てください。電話でも良いですよ。正解した人には……?)では、また。

174

阿部慎之助監督の報道に思うーーAIと人について

更新日:2026.5.29

江東区・北砂 個別指導学院TOCO西大島校 石戸です (Vol.28)

本来は、数学の話を投稿したいところでした。しかし、現在白熱している読売巨人軍の監督を辞任した阿部慎之助監督のいわゆる体罰の報道について、どうしても触れておきたいと思い、変更させていただきます。

(受験テクニックや定期考査などの対策は、入塾していただいてからたくさんできます。その根底にある教育観・教育理念こそが最重要であるととらえています。細かく丁寧にテクニックを示すことが、必ずしも入塾につながるとは考えていません。むしろ、「あっ、なるほど、そうやっていけばいいんだ」と、そこだけを読んでいただいて満足されてしまわないとも限らないからです。)

さて、私はかつて何回も児童虐待を通報をしてきたことがあります。学校や医師や子供に接する仕事や立場にある者の責務でもあるからです。

何回も通報してきた中で、記憶が鮮明な2つの事件がありました。

1つは、解決できないまま見届けたのが悔しくてなりません。それは、約40年前、デパートで起きたことでした。小学1年生くらいの男の子が母親らしき人に連れられて、様々な陳列商品を見ていました。こちらも同じようにウインドウを覗いていたのですが、その親子はあきらかに、他の大勢のご家族とは違った様子でした。

それは、急に泣き出したことでわかりました。なぜ泣き出したのか、それは、母親らしき人に叱られたのでしょう。ただ、「あれ買って、これ買ってばかり言いやがって」との言葉とともに、仰天したのは、身長もまだ伸びきっていない我が子(?)を容赦なく、何回も足や背中を蹴り飛ばしていたではありませんか。気づいたのは我が家だけではありません。周りの家族連れも気づきながら、何も成すすべがなかったようです。

倒れている小さな子を、まるでプロレスラーが、相手レスラーをジャンプして蹴るような様子でした。泣き方も尋常ではありませんでした。

あまりの光景に、後先のことや周りのことなど整理できませんでした。ただ、大声で「何やってるんだあ!」と。

気づいた時には、フロア全体にまで届くほどでした。私は、走って駆け寄りましたが、「あんたに関係ない!」と答えたではありませんか。私は「関係ないじゃ、ない!  なぜ そこまで叱るんだ。蹴るなんて酷すぎる!!」と。

すると、今まで、知らん顔をしていた多くのお客さんが遅まきながら駆け付けて、取り囲んでくれました。大勢の鋭い視線に気づき、いたたまれなくなった女性(子供は泣き止みましたが、体中をさすっていました)は、その子の手を引っ張って、猛スピードで逃げて行ってしまったのです。このエピソードは、後々のことを考えると、今でもぞっとします。デパートの店員さんにも警備員さんにも一般のお客さんたちにも、まだハラスメントやコンプライアンスなどという概念、虐待と躾との違いなどへの理解が進んでいない時代でした。

もう1つは、明治通りで起きた出来事です。                                  私の娘がまだ3歳だった時であったことをよく覚えています。                          外国にルーツをもつ母親が(後から聞いたところ、祖国の友人に国際電話をしていたのか、それとも来日している友人なのか、に電話するために)寝かしつけた我が子を部屋に一人置いて(スマホもなく、公衆電話という手段しかなかったらしいが)長電話をしていたようです。                                          私が、職場を退勤して帰宅する途中で、娘と同じ3歳くらいの女の子が、亀戸駅付近の明治通りを泣きながら(自動車が行きかう中、横断歩道ではない場所。片側2車線の明治道路の中央まで)渡っていました。

幸いに自動車の量が少なく、赤信号で止まってくれていたので、私が急いで抱き上げて片方の歩道へ連れてくることができました。それでも、どこから来たのか(どこの住所なのか、ママはどうしたのか)言えません。             おむつは取れていましたが、びっしょり濡れていました。夏だったはずですが、おそらく心細くて泣きじゃくり、おしっこをもらしながら、ママを探していたのでしょう。

交番がありましたが、まず、ガラケー(スマホもない時代)で妻に電話をし、「今、〇〇(娘の名前)と同じくらいの女の子が・・・」と事態を端的に話しました。妻はタオルや娘のパンツ、ビニル袋を持ってタクシーで飛んで来てくれました。

夜遅くまでドーナツ屋さんが空いていたので、トイレ内で妻が着替えをさせてくれ、ドーナツ屋さんで温かいものを冷ませて飲ませました。10分間くらいは、なかなか泣き止みませんでしたが、真向かいに交番があったので、連れて行って親を探してもらうことにしました。

妻は、祖父母と留守番をしている息子や娘の待つ自宅へ戻りました。ほどなく、件(くだん)の母親が、その交番にやってきて「どこにいたの?寝てたでしょ?扉開けちゃって、一人出てきちゃダメでしょ!」と片言の日本語で、その子に叱責しました。

私が声を発しようとするや否や警察官が「『どこにいたの?』じゃないよ! まず、こちらの御主人にお礼を言うんだよ!」と逆に親に対して説諭をしてくれました。

母親は、日本ではそういうものなんだな、面白い国なんだな、といった受け止めのようでしたが、自分自身の寂しさのやり場のない気持ちでいっぱいだったみたいです。

「パンツも洗って返す」と言ってお辞儀もしてくれましたが、「この年齢の子を独りにさせない」ということだけを約束して別れました。

さて、野球界に限らずスポーツの世界でも様々な不祥事がありましたが、阿部監督の辞任は、衝撃を与えました。  辞任というよりは実際上の更迭なんでしょうが、世間では賛否が大きく分かれているようです。          家庭内の出来事なのに社会的制圧は度が過ぎているとみる人もいれば、アルコールを飲んでいて胸ぐらをつかんだり押したのは良くないなどの意見も。

また、監督には選手と違う自覚や矜持があってしかるべき、と。あるいは低迷しているチームを途中で投げ出したことは大人げない、などとも。ましてやチームがジャイアンツともなれば伝統や誇りだけでなく、オーナー達の思惑も見え隠れしてきます。

私は、阿部監督の行為に対して決して良いとは思わないまでも、AIに相談したお嬢さんを安易に責めるわけにもいかない、と感じました。

これは、単なる家庭内(きょうだい喧嘩とか親子喧嘩とか)の問題として片付けていられなくなりました。というよりは、もっと社会的に(世界的に)根深いものが潜んでいるような気持ちになってしまったのです。

高邁な理論を述べるつもりはありません。ただ、相談した相手がAIだったことに関しては、私たちはもう一度立ち止まって考えるべきではないのか、ということです。

もちろん、今や どんな領域の仕事や遊びでも活躍の度合いが広くなりはじめたAI(人工知能)ですので、上手に活用していくことは賢明です。

ただし、活用する側の“心根”の問題が残ります。“心(根)”などというと目に見えないのでわかりにくいですが、最終的には「人間らしさ」に行きつくのではないか、と考えているのです。                     人間が、機械に負けてはなりません。逆に活用されてしまったら本末転倒です。                『2001年宇宙の旅』や『モダン・タイムス』という半世紀以上前の映画が一番強調したかったことかも知れません。

 

AIがもっともらしい嘘(事実とは異なる情報)を出力することは、「ハルシネーション」といいますが、精巧なフェイク画像・映像(ディープフェイク)の作成など、さらには戦争にさえ用いられるという脅威も十分にあるのです。生成物の権利侵害やプライバシーに関する懸念(著作権や倫理の問題)もあります、

今回の出来事は、AIも児相も警察も自分自身の役目を淡々とこなしただけで、誰かに問題があったとは決められない部分があります。

しかし、繰り返すようですが、AIは人間を完全に替けるものではなく、「人間の作業を(強力に)サポートする『道具』」として、今後も共存しながら進化させていくものです。                        最終判断は「道徳性」のある人間自身なのだ、と肝に銘じたいと思っています。

 

今回は、身近なニュースから難しい話へと発展させてしまいましたが、もっと単純な表現で結論すると、「親子」「きょうだい」「夫婦」「友人」「地域」の厳しくも温かな結びつきであるとか、絆であるとか、そんなものが機械なんかに邪魔されないようにしたい、のです。効率ばかりに心を奪われずに、もっともっと“泥臭く”、もっともっと“泣いたり笑ったりしながら生き生きと”、もっともっと“血の通った人間らしく”暮らしていきたいと、考えたいのです。

私たちの命と同じように尊い子どもたちを機械なんかに振り回されずに、適時上手に使ってやる聡明さを育んであげたいですね。阿部監督は、自分の力で再起してくれるでしょう。お嬢さんが、必要以上に自己否定しすぎることがないよう、見守ってあげたいです。

 

196

不思議な数字の性質

更新日:2026.5.28

江東区・北砂 個別指導学院TOCO 西大島校 石戸です。 (Vol.27)

 

いきなりですが、今回はクイズを解いてもらいましょう。

「142857」

この6桁の数字に1〜6をかけると、数字の順番がぐるぐる入れ替わる(循環する)不思議な現象が起きます。   やってみてください。

さらに7をかけるとどうなるでしょうか?

  • 142857×1 = ?
  • 142857×2 = ?
  • 142857×3 = ?
  • 142857×4 = ?
  • 142857×5 = ?
  • 142857×6 = ?
  • 142857×7 = ?

さて、どんな大きな桁の数字に「0(ゼロ)」をかけた場合には、必ず答えは「0」だということは、皆さんご存知でしょう。

しかし、誰が「0(ゼロ)」を発見したのか、発明したのかは、いかがですか? 私は、人類にとっての大発見であり、大発明であるといえると考えています。                                 「0(ゼロ)」という概念が生まれ、皆に紹介されなかったとしたら、数学や統計学などは、発展しなかったでしょうし、医学や解剖学、薬学、経済学にも限界が起きたことでしょう。まあ、誰が発見・発明したとしても、人類的な貢献であったということだけは間違いありません。

数字の「0(ゼロ)」は、6世紀頃の古代インドで発見・発明されました。それまで「位取り(くらいどり)」の空白として使われていた概念が独立し、計算を可能にする数字として体系化されたのが始まりです。

数字の「0」がたどった歴史と重要なポイントは以下の通りです

  • 古代の空白(紀元前)・・・バビロニアやマヤ文明などでは、数の位(くらい)を表すための「空白(プレースホルダー)」として使われていました。
  • 数字としての誕生(6世紀頃・インド)・・・古代インドの数学者たちが「無」を意味する概念と結びつけ、計算ができる「0」という数字を確立しました。
  • 世界への伝播・・・インドで確立されたこの記数法はイスラム世界に伝わり、のちにアラビア数字(インド・アラビア数字)としてヨーロッパへ広がりました。

では、なぜ「0」の発見・発明はそこまで偉大なことだったのか?

○位取り記数法・・・0のおかげで、10や100などの大きな数を特別な記号を使わずに表せるようになりました。

○無限と代数の発展・・・0の発見により方程式やマイナスの概念(負数)の計算が可能になり、現代の数学や科学の基礎が築かれました。

さらにもう少し深堀してみたいと思います。

「何もない状態」を数として認め、計算できるようにしたゼロの発見は、人類の歴史における最大の偉業の一つと言われていわれていますが、ゼロの発見には大きく分けて2つの段階があります。

1.空白を示す「記号」としてのゼロ

○役割: 位(くらい)が空であることを示す記号。

○例: 「105」の十の位には何もないことを示すためのスペースや点。

○歴史: 紀元前のバビロニアやマヤ文明などでも、独自にこの形のゼロが使われていました。これらは「記号」であり、まだ計算できる「数字」ではありませんでした

2.計算ができる「数字」としてのゼロ

○役割: 「0を足す」「0をかける」といった、四則演算ができる独立した数字。

○歴史: 6〜7世紀のインドで確立されました。

○功績: 7世紀のインドの数学者ブラーマグプタが、「ある数に0を掛けると0になる」といったゼロの計算ルールを本にまとめました。パキスタンで発見された「バクシャーリー写本」には、3〜4世紀頃の最古のゼロの文字(黒点)が残されています。

ゼロがもたらした2つの革命

○どんなに大きな数も簡単に書けるようになった

・0から9までの「10個の数字」と「位取り(桁をずらす)」の仕組みだけで、無限に大きな数まで表現できるようになりました。

○複雑な計算や数学の発展を可能にした

・ゼロができたことで、のちに「マイナスの数(負の数)」という概念も生まれ、現代の科学技術やコンピューターの基礎となりました。

 

一、十、百、千、万のあとの億、兆、京、垓くらいは、御存知でしょうが、そのあとは、 / じょ)穣(じょう)溝(こう)澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)と続きます。さらに、恒河沙(ごうがしゃ)(恒河沙とは、ガンジス川の砂の数という意味)となります。さらに、阿僧祇(あそうぎ)那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)となります。ちなみに「無量大数」は10の68乗ですが、「恒河沙」や「阿僧祇」や「那由他」や「不可思議」はインド発祥の仏教から考えられた数の概念だそうですが、やはりインドの方々が数学に強く、IT関連の仕事に就くエリートが多いのにも意味があるのでしょうか。

インドには、独特な計算方法もあります。日本の「かけ算九九」にあたるものも2桁とか3桁もあると聞いたことがあります。

日本にも、世界に誇る数学・算数・算術の技法があることを知っていますか?

それらについては、次号以降で詳しく述べます。

319

勉強は実は楽しい!あとは勉強法です。個別相談も随時受付中!

TOCO 東京・埼玉 教室一覧